昨日、こういうニュースを見ました。

神保町で愛され続けて60年――天丼『いもや』の閉店に隠された“人情経営”の限界

ざっくりいうと、ずっと同一価格で頑張っているてんぷら、とんかつ屋さんが閉店を

するにあたり、元弟子や関係者の談話を載せた記事です。

その中で特徴的な談話があるのですが、

神保町1丁目の『天ぷら・いもや』店主も69歳と高齢で、青森・弘前店の店主は65歳、弟子の中では最も若い藤岡店の店主も60歳を超えているという。

『いもや』に押し寄せる“高齢化”の波に「我々には後継ぎがいない…」との問題が重たく圧し掛かる。「『いもや』は薄利多売の商売だから、自分の子どもに『この仕事をやれ』ったって酷(こく)な話でね」(樋口氏)

同店の商品原価率は、3割といわれる飲食業界の相場を大きく上回る。樋口氏によると、とんかつ定食の場合は5割超にもなるそうで「野菜が高騰している最近はほとんど利益が出ない」とのこと。だが、材料費高騰を理由に値上げはしない、安い食材に切り替えることもしない…その理由について「お客さんはこの料理とこの値段に喜んでくれる。その気持ちを裏切ることはできませんよ」と樋口氏は語ったが、それも創業者から受け継いだ家訓でありポリシーともいえるようだ。

身体が続かなくなろうと、一切利益が出なかろうと、この値段を維持することがお客さんの喜びだと

のれん分けをした店主は語っています。

本当にそうなのかな?と思い、考察してみたいと思います。

値段が安いに越したことはないけれど

同じサービスを受けるのであれば、安いに越したことはありません。

しかし、真に感動するサービスってなんだろう?と考えた時に、

値段が一番最初に来ることはないような気がします

飲食店にしろ、なんにしろ、安くて通うのは、安いからであって、

いざというとき行きたいところは別だとおもうのです。

まあ、あんまり高い何か月に一遍事案ですけど^^:

しかも、このサービスの為に自分たちは当たり前に10何時間も働いて、

もはや下の世代は同じ働き方をする気にならないくらい働いて、値段を維持して

自分たちが疲弊している、という事を思うと悲しい気持ちになってきませんか?

本当のサービスとは

考えるに、

そこでないと受けられないもの

ではないかと。

そこの空気が好き、そこのサービスが好き、そこの料理が好き、そこのカットが好き・・・

なんでもよいのですが、他の誰かではなくて、そこの何とかさんだからこそ

価値があると思うのです。

サービスを維持するために必要なものは

記事にあるような働き方をしている人は本当に尊敬しますし、

今やってる仕事は好きでやっているので、何時間でも働くことは出来ます。

しかし、自分の生活が出来なくなっていってしまえば、そもそものサービス提供が出来なくなります。

それが体力であれば休みは必要ですし、いるスタッフがサービスを担保していれば

その分の報酬も必要になってきます。

何かが欠けてしまって質が落ちてしまえば、そのサービスは提供できなくなります。

特に個人でやっているところは、質を落として値段を下げた瞬間に、

ならチェーンでよくね?

という事になりかねません。

であれば、そこに来ている人のためにも質は常に向上し、その際に費用が必要なら

値段も常に見直すことも大事ではないかな?とこの記事を読んで感じました。

もしくは宝くじを当てて還元大会をするか。

※宝くじの当選確率は1枚買った場合一等が当たるとすると1000万分の1です。

まとめ

・サービス≒値段は大事な考えかた

・維持にコストがかかるなら値段は考えるべき

・質を落とすなら個人事業は終わりだと思う

追記

この記事を書いていたのですが、永江一石さんが、はるかにわかりやすい

記事を書いていらっしゃったので紹介します。

 

少子高齢化で日本のサービス・飲食業はどうなるか。「いもや」の例を見るともう答えは出ているぞよ

もちろん、中身が無くてただ値上げするのはあれだと思いますが、みんなのためにと

人情経営して、自分が使いつぶれたりする人が続出すると考えると、

私たちも店やサービスに求めるものを考える時代に来ているのかもしれませんね。

投稿者プロフィール

院長
院長
けやきの森整骨院院長。
身体の動きや機能の話が得意
くせ毛と大柄なのに軽やかに動くからだが特徴。
ズボン破壊魔。
元読書家で歴史小説に目がない人。
少年・青年漫画限定で意味不明に詳しい