あのマラドーナが亡くなったようです。
冥福をお祈りいたします。
実は太る前はサッカー少年だった自分が、一度だけ接点のあったマラドーナとの思い出を振り返ってみたいと思います。
時はおおよそ30年前
おそらくこのくらいの時期だったと思うのですが、当時の日本、特に東京では、百貨店や西友的な何かの屋上に小さいテーマパーク的なものやゲームセンター、運動ができる環境などがある事がある程度一般的でした。
当時の資料を現段階で見つけられていないので日時はあいまいですが、その中の一か所で、少年サッカークリニック的なイベントが開催され、その講師役としてマラドーナが来ていました。
当時のチームもこれに参加、そして最後にミニゲームという運びでした。
そして、参加希望者は挙手してその中から選ばれるという流れだったのですが…
行動しない人間にチャンスは来ない
結果から言うと、手を挙げなかったんですね。
そして、傍らにいたチームメイトが元気よく挙手、彼は試合にピックアップされ、最終的にマラドーナに気に入られた挙句、抱きかかえられた写真が当時のサッカー雑誌に載りました(当時の資料持っている人がいたら、日時とか教えてくれるとありがたい)。
彼はその2年以内にサッカーをやめるのですが、家にはその写真はずっと飾ってありました。
2010年、マラドーナがアルゼンチン代表チームの監督になった際、当時のゲームに参加した少年(今は中年)を集めて、印象を語るという遠すぎる企画が立ち上がっていたようで、その企画が実施されていたら、当時の映像を客観的に見る機会があったかもしれないので残念です。
そんなわけで、行動したチームメイトは機会を得て、行動しなかった私は傍観者として、その後二度とない機会を永久に失いました。
次があると思うな
物事において、「次」が来る保証は全くありません。
ではいますることは何かというと、選択することです。
チャンスに名乗りを上げる、または上げない、これをきっちり選ぶことだと思います。
とにかく行動する!って人が大多数であれば、多分今までに人類は滅んでいます。
※例えは極端なので乗せないことにしました。
当時の自分に対して、後悔があるとするならば、手を挙げなかったことではなくて、挙げるか挙げないかを選ばなかったことです。
逡巡したまま時間が過ぎて、挙げなかった人ではなく、選べなかった人としてあの場を後にしたことが、今にして思うもったいない事です。
行動をするにしても、しないにしても、どうするかは選ぶ、これが大事だなと思うので、選択はどちらでもいいので、何かに直面したら、必ず自分の意志で選ぶことをオススメします。
自分で選ぶことで得られるもの
行動することを決めれば、その経験(成功ないし失敗)が選べます。
行動しないことを決めれば、その経験と、選ばなかった機会損失と、選ばなかったことで発生した時間が得られます。
どちらも決めなければ、何も残りません。
特に、身の回りの環境に不満がある人は、選びグセをつけてみることで、変わっていくことがあると思います。
是非、何もしないからの脱却をしてみてください。
投稿者プロフィール

- 4F整骨院 院長
- 4F整骨院院長
柔道整復師歴10年ちょい(国家資格)
趣味:読書(宮城谷昌光、歴史小説全般)、スポーツ観戦(野球:見るのは20年来広島、見てる時だけ勝てば良い派、サッカー、他メジャースポーツは守備範囲)
ズボンをよく壊す
整骨院のちゃんとした利用と、皆様の役に立つ情報発信に努めます。
たまに雑記も書くよ
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